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2018年6月27日水曜日

ご近所ぶらり

つゆが明けたかのような、寝苦しい夜から引き続きの朝。必然的に目が覚めて、と言うより寝付かれず、悶々として迎えた夜明け。
まだ6時前だが指定の置場にペットボトルを出しに行く。ご近所さんには、迷惑な話だ。その時に目に入ったお花をパチリ。



 百合は朝陽を受けて輝いていました。あじさいは終盤を迎えようとしていますが、隣には沢山の時計草が咲くひゅん版を待っていました。
これから暑くなる一日、長く感じるのでしょうね。

2017年11月19日日曜日

かぎろひ歴史探訪~三本松駅は遠かった~

私の田舎には、「関の五本松」がある。しかし今日16日は2本少ない近鉄三本松駅集合だ。香川県の三本松に行くわけではないのに遅れてしまった。
駅からの眼下の道を車で走っていると、さほど遠い感じがしていないもので、のほほんと構えていたらこの様だ。
何とか受付を済ませ皆さんと合流、道の駅に。「しょっぱなから道の駅」ぶつぶつ言いながら皆さんきっちり主婦の顔に。この先重いだろうと案じてあげるけど、そこはそこ皆さん平気。

駅のプラットホーム 






宇陀川を渡り

 のんびりと向かう先は「海神社」(かいじんじゃ)ここには歌碑があったり山の神が居られたり




 また、ぶらりぶらりのんびりと眼に入る風景、自然に合わせて旧山邉郡室生村大字三本松中村にある「安産寺」に。このお寺は中村の人々が村のお寺として大切にお守りをされているお寺です。
安置されているのは重要文化財(法整備前は国宝)の子安地蔵立像でふくよかなお顔立ちの思わずひざまずかずにはいられなくなる仏様でした。お写真が載せられないのが残念です。ぜひご連絡の上参詣されることをお勧めします。連絡先は市商工観光課0745-82-2457、92-2001です。
お堂の中は とても暖かでした。世話をいただいた上にあたかいお茶までも、そして外は冷たく寒いからとこちらでお昼をいただけるようにしてくださいました。とても助かりありがたさが身に沁みました。世話役の方と名残を惜しみながら次なる目的地白鳥神社に。
白鳥伝説は大阪府の羽曳野市が力を入れている。
安産寺より説明を追
 安産寺

白鳥神社遠望銀杏はまだ少し
 そして長命寺へ
こちらに坐は薬師如来坐像さん。この寺の山号は「長瀬山琴引院長命寺」近くの美しい山が鎌倉山、流れる小さな川で落ち込む滝があり、鎌倉の滝と言うそうです。
琴引はことひきかと思っていましたら「きんいん」と読むとか。
その昔義経公がまた一説には北条時頼公が琴をお引きになったとかでこの院号が付いたとか。いづれにしてもなんとなく鎌倉との因縁がありそうです。





 再びぶらりと伊勢街道を三本松宿場町と三代目三本松を
流石に宿場町屋号が表記されています。私の田舎でも今でも屋号(普通のお家にも古くからのところは屋号があります)の方が通り良いところがあります。





三代目のライブに行く途中その昔「かわず」がとびこんだ古池がありましたが今回は「お藤さん」はおられませんでした。



続いて向かうのは少し峠を越え室生口大野駅の近くにある大野寺川向の摩崖仏を


 摩崖仏にお別れし近鉄室生口大野駅に向かい帰宅しました。


 気温があまり上がらない一日でしたが皆さまお疲れ様でした。

私自慢のシフォン押しつけ女性陣の皆様もうしわかありませんでした。それでも中には見書障害の方か美味しかったと言われ、照れ臭かったです。良ければまた・・・・

2017年11月11日土曜日

エッ!それでいくの?

昨夜来の雨が未明の雷鳴とともに、どうやら上がる様子。
王寺発9時1分の高田行きに遅れないようにと用意をしてたら
「エッ!それでいくの」と愛妻の声。私の足元は、白のゴム長。このスタイルで電車に乗るのはどうか?とでも言いたそう。がしかし、その声を振り払い向かう先は「纒向」。で気になる雨の方は上がりどんよりとした曇り空。

現地説明会そのために「纒向」まで向かったのです。
私が受付をしたのが138番、すでに多くの方が来られていました。
発掘現場は旧纒向小学校の跡地で、過去にも何回かの調査が行われたところだそうです。どうやら今回の調査でこの場所は終了し、その後資料館や公園になる予定とか。すでに立派な「トイレ」 施設ができており私達訪問者は大変ありがたいことです。


















朝の電車内


 定刻10時になり増殖中の橋本課長の挨拶が

続いて森主任の軽妙な口調での現地説明とつづき私たちはその後、発掘現場を見学しました。



雨の名残の水溜まりとなっている現場です。

こちらの遺構からは土器片が出土し、復元され展示されていました。

なぜ私が長靴スタイルで出かけたか、皆さんおわかりですね。


2017年10月28日土曜日

柳生の里へ~かぎろひ歴史探訪


ご近所に甚大な被害を齎した台風21号の過ぎ去った26日台風一過?の秋空の下、柳生の里に「かぎろひ歴史探訪」に参加してきました。
今では観光客も無く、TVで放映されていた「春の坂道」の時、観光客は いったい何だったのだろう。今では写真のように老〇男女が侘しい秋の坂道をトボトボと登っていく姿が・・・・
しかし「かぎろひ歴史探訪」に参加されている皆さんは私を除き平均15歳はお若い体力をされていますので、春の坂道だろうと秋の坂道だろうと「スイスイ」と。
行く先々で漫画でテレビで見た柳生一族を感じることができ、何か一つ陰謀でも企ててやろうかとの気持ちにさせられました。




























昼でも淋しい感のする神社です。
「一刀石」をはじめ大きな石や岩が点在して磐坐を感じることができる今はやりのまさにパワースポットでした。私もここで修業をしたら・・・・











 
柳生家累代のお墓があります芳徳禅寺にやってきました、なぜか食いしん坊の先生は芳徳膳寺となっていますがこれは皆さんの気持ちを和ますためのご愛敬。
ここの境内で見つけた可憐なお花、この花一つでもかなり会話が盛り上がっていました。いつも一人アホなことをいう人がいるからですが。








このあと、昼食をとり先生による「柳生の人々、歴史」についてのお話があり午後の行程にと進みました。
家老屋敷、八坂神社、陣屋址、疱瘡地蔵
 

























上のお地蔵さんが「疱瘡地蔵」でこの地蔵さんの一角に柳生徳政が出されたと刻んであるそうです。
私の認識ではこの徳政なるもの、今で言う税金などの免除だと理解していますが・・・・
さあーこれからが「かえりばさ峠」長い登りを「ヤッコラサふう~ふう~」と言いながら登り切ったのは良かったのですが今度は長く急な下りしかも所々に石畳が登りより気を引き締めてかからねば台風の影響かまだ一部分「東海自然水道」となっていました。幸い大きな事故がなく良かったのですが一人二人と滑る方がおられました。急なルート変更は無理なことでしょうが長雨続きのことやメンバーの年齢を・・・。
やっとの思いで難所を抜け

 
















お藤の井戸です。
思わず・・・大きな声で「お藤さ~ん」と呼んだら井戸の底から「は~い」との返事。ここはパワースポットではなく「心霊スポット 」だったのです。
終わりに南明寺の建物を見てバス停に。
奈良交通さんは「偉い!」来るときの状況を見て帰りも増便をしてくださいました。感謝です。
皆さんお疲れ様でした、お藤さんもお元気で。

2017年10月14日土曜日

あきそして「かぎろひ歴史探訪」

朝早く雨が気になりお目覚め、遠くからかすかに聞こえる太鼓の音、今日は祇園の夏まつりではなく、龍田地区の秋祭り。龍田神社の宮司さんもきっと昨夜は目が合わなかったことだと察します。

我が家の御宝前にも貰い物の秋がやってきています。


筒井のお店もお嬢ちゃんが頑張り何とかかっこが付いています。
外見は普通のお家です。




 宣伝はこのくらいにして本題に
10月12日とても秋晴れとはいいがたいお天気の下、近鉄名張駅に集合し、 本日のスタート。
一路名張中央公園に組されています「夏美廃寺跡」を目指します。
ついてビックリ!なんと立派な公園ではないかと。その一角にあまり訪れる人のいない「夏美廃寺跡」そして展示館がありました。
と言うように一般には馴染みは無くても歴史探訪〇〇クラブの人にとっては「オッー」と言うところでした。


先生のお話を聞き次の目的地に
名張藤堂家は戦国に名を馳せた藤堂高虎の流れをくむ子孫の屋敷跡一部は寿栄神社となっていますがなんと縁起がいい。トラのお屋敷、神社と来たもんで今日からの戦いにお力をとジャランジャランと神頼み。
藤堂家の家紋が桔梗。お屋敷があるところが丘になっているのでこちらを「桔梗が丘」と言ったそうです。どこかの桔梗ならぬ企業がパクリとこの名前を世に広めましたね。

道辻には道標があり応時の道行く旅人を偲ばれます。

訪れた神社で感じたのは奈良と名張の深い関係です。

勝手な解釈で、独り言を言えば「なばり」は「なわばり」を略した言い方で大和朝廷の一番外にあたる場所で通行人の出入りを「みはる」ところだったのではと。

写真を撮っていると時々思わぬ被写体が写っているのでパワースポットだと感じます。   お疲れ様でした。