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2017年10月28日土曜日

柳生の里へ~かぎろひ歴史探訪


ご近所に甚大な被害を齎した台風21号の過ぎ去った26日台風一過?の秋空の下、柳生の里に「かぎろひ歴史探訪」に参加してきました。
今では観光客も無く、TVで放映されていた「春の坂道」の時、観光客は いったい何だったのだろう。今では写真のように老〇男女が侘しい秋の坂道をトボトボと登っていく姿が・・・・
しかし「かぎろひ歴史探訪」に参加されている皆さんは私を除き平均15歳はお若い体力をされていますので、春の坂道だろうと秋の坂道だろうと「スイスイ」と。
行く先々で漫画でテレビで見た柳生一族を感じることができ、何か一つ陰謀でも企ててやろうかとの気持ちにさせられました。




























昼でも淋しい感のする神社です。
「一刀石」をはじめ大きな石や岩が点在して磐坐を感じることができる今はやりのまさにパワースポットでした。私もここで修業をしたら・・・・











 
柳生家累代のお墓があります芳徳禅寺にやってきました、なぜか食いしん坊の先生は芳徳膳寺となっていますがこれは皆さんの気持ちを和ますためのご愛敬。
ここの境内で見つけた可憐なお花、この花一つでもかなり会話が盛り上がっていました。いつも一人アホなことをいう人がいるからですが。








このあと、昼食をとり先生による「柳生の人々、歴史」についてのお話があり午後の行程にと進みました。
家老屋敷、八坂神社、陣屋址、疱瘡地蔵
 

























上のお地蔵さんが「疱瘡地蔵」でこの地蔵さんの一角に柳生徳政が出されたと刻んであるそうです。
私の認識ではこの徳政なるもの、今で言う税金などの免除だと理解していますが・・・・
さあーこれからが「かえりばさ峠」長い登りを「ヤッコラサふう~ふう~」と言いながら登り切ったのは良かったのですが今度は長く急な下りしかも所々に石畳が登りより気を引き締めてかからねば台風の影響かまだ一部分「東海自然水道」となっていました。幸い大きな事故がなく良かったのですが一人二人と滑る方がおられました。急なルート変更は無理なことでしょうが長雨続きのことやメンバーの年齢を・・・。
やっとの思いで難所を抜け

 
















お藤の井戸です。
思わず・・・大きな声で「お藤さ~ん」と呼んだら井戸の底から「は~い」との返事。ここはパワースポットではなく「心霊スポット 」だったのです。
終わりに南明寺の建物を見てバス停に。
奈良交通さんは「偉い!」来るときの状況を見て帰りも増便をしてくださいました。感謝です。
皆さんお疲れ様でした、お藤さんもお元気で。

2017年10月14日土曜日

あきそして「かぎろひ歴史探訪」

朝早く雨が気になりお目覚め、遠くからかすかに聞こえる太鼓の音、今日は祇園の夏まつりではなく、龍田地区の秋祭り。龍田神社の宮司さんもきっと昨夜は目が合わなかったことだと察します。

我が家の御宝前にも貰い物の秋がやってきています。


筒井のお店もお嬢ちゃんが頑張り何とかかっこが付いています。
外見は普通のお家です。




 宣伝はこのくらいにして本題に
10月12日とても秋晴れとはいいがたいお天気の下、近鉄名張駅に集合し、 本日のスタート。
一路名張中央公園に組されています「夏美廃寺跡」を目指します。
ついてビックリ!なんと立派な公園ではないかと。その一角にあまり訪れる人のいない「夏美廃寺跡」そして展示館がありました。
と言うように一般には馴染みは無くても歴史探訪〇〇クラブの人にとっては「オッー」と言うところでした。


先生のお話を聞き次の目的地に
名張藤堂家は戦国に名を馳せた藤堂高虎の流れをくむ子孫の屋敷跡一部は寿栄神社となっていますがなんと縁起がいい。トラのお屋敷、神社と来たもんで今日からの戦いにお力をとジャランジャランと神頼み。
藤堂家の家紋が桔梗。お屋敷があるところが丘になっているのでこちらを「桔梗が丘」と言ったそうです。どこかの桔梗ならぬ企業がパクリとこの名前を世に広めましたね。

道辻には道標があり応時の道行く旅人を偲ばれます。

訪れた神社で感じたのは奈良と名張の深い関係です。

勝手な解釈で、独り言を言えば「なばり」は「なわばり」を略した言い方で大和朝廷の一番外にあたる場所で通行人の出入りを「みはる」ところだったのではと。

写真を撮っていると時々思わぬ被写体が写っているのでパワースポットだと感じます。   お疲れ様でした。