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2014年9月14日日曜日

聖徳太子

記紀・万葉ウォーク「聖徳太子の足跡をたどるⅡ」が今日から始まり参加してきました。
主催は奈良県観光ボランティアガイド連絡会。共催が聖徳太子ウォーク実行委員会で、初日の今日は三宅町でした。
勿論案内は三宅ボランティアガイドの会の皆さんでした。
まず、午前に初回を記念し地元の誇り、奈良県立図書情報館館長の千田稔先生による太子道 ー女帝と太子を結んだ道ー と題されての講演があり昼食をはさみ午後より三宅町内を散策ウォークしました。




なんでも三宅町は恋人の聖地とかで恋人同士で訪れたら「恋人証明書」なるものがいただけるそうです。このベンチは吉野杉でデザインは桂由美さんだそうです。昨日はご本人が腰を掛けられての写真撮影が行われたそうです。
今三宅町は万葉集に読まれた「あざさ」(学名アサザ)にちなみ、あざさ祭が行われていました。


五弁の黄色い小さな花をつけています。水草なのでどこか葉っぱはホテイアオイに似ていました。
暑い中和みの花を見ながら先を急いでいましたら
万葉の世界へとタイムスリップしたかのようなもてなしを受けました。
これで読みが「ともんど(伴堂)」だそうですが、思い出しました。以前「かぎろひ歴史探訪」で訪れたところで、田中先生にご説明を頂いた地区でした。
当時から「杵築神社」が多く出雲系神社が多いところだと感じていたところでした。今日の参加者の皆さんも多分にそのことを感じられたご様子で盛んにご質問されていました。
今日はじめて聞いたところでは杵築神社さんは道の神様だということでした。私の勝手な解釈では「杵築」農耕の神様だと思っております。穀物がよく実り出来たものを脱穀することが出来ますようにと、祈りを捧げるのとお礼を申し上げる神社だと。
昔は杵(きね)で築いて脱穀をしたこと。今では杵でお餅をつきます。
土を突き固めるのは版築で丸木にタコ足のような木を取り付けて固めたのではないかと。
昔から穀物がよく採れるところにある神社ではないかと思うのです。ここ三宅町には三箇所も杵築神社がありました。
もうひとつ三宅町は折り鶴の町でもありました。折り鶴は福祉のシンボルだそうです。
太子の愛馬「黒駒号」の像ですが昭和の初代像は残念ながらあの戦争で供出されたそうで、これは2代目平成産まれそれも24年です。ここには太子が腰をかけられた「腰掛石」もありました。私も疲れてきたので腰掛けたかったのですが柵がしてあり無理でした。
この後古墳等を遠目に見学、説明を受けたりしました。
今日の太子道・すじかい道はまだまだ?だらけだそうです。
三宅も環濠集落だそうで流れのない堀川がありました。
そうそう「冷やし飴」のおもてなし、ありがとうございました。

駅のホームまで見送りに来てくれた「みやっぴい」ありがとう。

どちらが、みやっぴい でしょう?

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